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こんにちは。




相変わらず更新の滞っているソラトクモトダイチノテ管理人のMAKOTOです389



だんだんと春の息吹を感じる季節となりました。



さて今回は、ついに廃線が決まり、取り壊しが始まった『三峰山ロープウェイ』にスポットを当ててみたいと思います。(ってかいまごろ~ぉ…?)






それに伴い、ホント~に貴重な写真もお借りすることが出来ましたので、その貴重な写真と共にお届けしたいと思います94

 





《 第一次三峰山ロープウェイ 》
 
 
平成19年12月。


約70年という長きにわたり、参拝者や地元住民に親しまれてきた『三峰山ロープウェイ』の歴史に終止符が打たれた…。


ほとんど毎日毎日休む間もなく三峯神社へ参拝に来る人々、日々の生活や学校、町へ出かける住民の為に働き続けたロープウェイは、気が付いたときには老朽化が著しく、引退せざる終えない状態にまでなっていた…。
 




またひとつ、秩父の歴史的建造物が姿を消した…。







《 苦難の末に開通した第一次三峰山ロープウェイ(昭和14年~昭和39年)》






 《旧山麓駅とロープウェイのゴンドラ》

 

昭和5年に三峰口まで開通した秩父鉄道だったが、その先の鉄道延長は荒川の絶壁に阻まれ、非常に困難だった。
 
そこで出された代案が神社山麓から山頂までを結ぶ登山鉄道だった。
しかし、その後の調査により、『ロープウェイの方がこの深い谷を結ぶのに有利』だということがわかり、イタリアの設計会社と資材機械契約を結ぶも、この計画に反対する意見も多く、工事は難航。
加えて昭和大恐慌となり、計画は中断してしまった…。
 
そんな中、神社側では、登山自動車道路の計画も持ち上がったが、いく度かの話し合いの結果これを破棄。
再びロープウェイの計画促進に戻る。
 
昭和10年に入り、相変わらず計画反対の声も多かったが、これを押し切り、昭和12年起工。
そして昭和14年4月、ついに竣工となった。

山麓の駅舎は現在と同じ場所だが、山頂の駅舎は三峯神社の裏手に置かれ、一般に『 ケーブルカー』と呼ばれ、地元や参拝者の人々に親しまれた。
これにより大輪は大変な賑わいをみせた。
 
 
 
《 その昔… 》
 
登竜橋を渡ってからの表参道は現在も昔も変わらず急坂の連続で、ロープウェイが作られる以前は、もちろん徒歩で登るほか無く、大人も子供も神社までの長い長い山道を歩いて登った。
県道が開削され旧道から大輪へ移転した大島屋さんの店先には『強力山駕籠申込所』という看板が掲げられ、強力(ごうりき)と呼ばれる組合の取次ぎ番がいたそうだ。


《大輪へ移る以前の大島屋。三峰へ参詣する人々で賑わっている》


この『強力山駕籠申込所』で申し込みがあると、強力は看板の名前のとおり山駕籠に人を乗せて表参道を登るのである。
ただでさえ大変な山道を駕籠に人を乗せて登るというのだから昔の人の体力には驚かされる。


 《山駕籠乗り場の様子》


大輪は元々三峰山麓として栄えたところで、さほど耕地も無く、住民は山仕事や他の日雇いよりも賃金の良い強力となり組合を組織し、参拝者の登山を手助けすると同時に、自分たちの仕事として賃金を得ていたのだ。
 
強力には山駕籠のほか、登山者の腰を『T字形あるいは、二股の棒』で後しする『腰押し』や代わりに荷物を背負う『荷背負い(にしょい)』などユニークな強力も存在した。
強力は順番にお客さんを待つが、この内もっとも割の良かったのが山駕籠で、この山駕籠にあたるのを強力は期待したという。
講社の中には、大勢で登拝する講社もあり、羽振りの良い人や年配の人が予約をして山駕籠に乗り、チップをはずんだので強力も楽しみに待っていたという。
山駕籠が一番大変そうだが、順番に当たるのを楽しみに待つほど人気のあった職業というのも納得できる話である。


 《山駕籠に乗っているのは、東京から見えた講社の方だそうだ。なんだかキツそう…》


そんな山駕籠を担いで表参道を行き来した時代も昭和14年になり、三峰山ロープウェイの開通と共に強力組合も解散となったが、時折お客さんの求めに応じて、ロープウェイの駅までと山頂駅から三峯神社までの間を担ぐこともあったという。
昔は登山するのに無くてはならないものだったろうが、この頃山駕籠の依頼をする人々は、京都など観光地の人力車に乗るような感覚で依頼したのだろう。
 
ちょっとした贅沢でもあったのかもしれない。
 
そして、ロープウェイが開業したことで、ひとつの歴史が終わり、ひとつの歴史が幕を開けた。
 
 

《 世代交代 》

 
昭和14年に開業し、全長約1600mのロープウェイは、これまで2時間余りを要した表参道の急坂をわずか8分で上り下りできるようになったことはまさに画期的なことであった。

三峯神社も、三峰集落の人々もずいぶんロープウェイの恩恵に浴した。

三峰集落には小学校の分光はあったが、中学生は麓の本校へ通うため登下校にはロープウェイを利用した。
朝の登校時は、帰りの参拝者で賑わう中、優先して乗せてもらうことが出来たが、店員数21名という小さなゴンドラであったこともあり、大勢の参拝者が賑わいをみせる下校時には順番を待ち、時には2時間以上も待たされることもあったそうだ。

お客さんの中には長い待ち時間に業を煮やし、表参道を歩いて登る人もあったという。

まぁ2時間も待たされるなら、徒歩で登ったほうが早いかもしれませんが…



 《 旧登龍橋。現在の登竜橋とは少々形が違う。》


《こちらが現在の登龍橋》


乗車までの長い待ち時間には、周辺のお店でお菓子や飲み物を買って順番が来るのを待ったり、運悪く雨に降られたときなどは、待合室や駅員室で雨宿りをさせてもらうこともしばしばあったようだ。


 《開業50周年を記念して発行された記念切符》


当時の運賃は、おもしろいことに登りが『60銭』、下りが『50銭』と登りの運賃の方が高かったのである。
ある人は、『下りは表参道も下り坂なわけだし、表参道を歩いて下る人も多くいたろうから、下りより登りが高かったんだんべぇなぁ』と話していた。
納得である。

 
《 世代交代を向かえ、70人乗りに架け替えられたゴンドラ。先代と比べて大きく、どっしりした形になった。》




それから25年後の歳月が流れ、昭和39年4月。


運送の効率化と迅速化を図り、コースを右側に変更、ゴンドラも21名乗りから71名乗りに架け替えられ、運送人員が飛躍的に向上した新三峰山ロープウェイ(第二次)が開業した。


まさに、ロープウェイの世代交代とも言えよう。

 
こうして最盛期に入った三峰山ロープウェイだったが、昭和42年6月、一時は白紙に戻った登山自動車道路の計画が埼玉県により進められ、二瀬ダムを経由した三峰観光道路が開業し、三峰の参詣も車時代を迎え、人々は少しづつロープウェイから離れていった…。
 
いまさらだが、一番深い場所で60mを越える谷を天空の神域目指して登るロープウェイから見る新緑や紅葉は、乗って初めて見ることの出来る景色だった。
時折見せる野生の動物も観光のひとつだった。
 

そして…


 



平成19年12月…





 
長い長い歴史に終止符を打った…
 
 



今はただただ…
 
 
長い間…お疲れ様と言いたい…。






 
 
 
最後に、資料写真を提供していただいた皆様に感謝いたします。
また、掲載写真に関し、支障のある場合は、恐れ入りますがコメントから掲載拒否をお申し出下さい。
 
 
 
資料写真提供 大島屋
          山麓亭
          三峯神社社報編集室
 
 
資料写真の配布・無断転載を固く禁止いたします。
 
 
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keykunさん>

ご無沙汰しております
ロープウェイの旧駅舎の撮影に行ったので、ついでに…とはいえませんが歴史を調べてみました。
貴重な写真もお借りでき、本当に満足(個人的に)しております
写真を無断で剥ぎ取れないようにする作業に苦労しました…
これから、この歴史を伝えて行けたら良いと思っています
【2009/03/25 19:07】 URL | MAKOTO #-[ 編集]
makotoさんしばらくです。
節分の節にはありがとうございました。

今回のレポート・・・素晴らしいです。
オイラもケーブルに乗ったことがありますがこんな歴史があるとは知りませんでした。

全盛時の大輪・・・今の大輪・・・
歴史の流れを知ることができました。

今となっては無理なのでしょうが・・・撤去する前にもう一度ケーブルに乗りたかったです。
【2009/03/24 21:57】 URL | keykun #dNXrvxao[ 編集]















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