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いや~だいぶサボってしまいましたぁ…MAKOTOです。

さて、今回は、ヒラッチさんから写真が送られてきましたので、ご紹介いたします。

広島に行ってきたそうです。

うらやましい!!!!!

早速一枚目を。


genbaku-dome

言わずと知れた原爆ドーム

今回、ヒラッチさんにいろいろと調べていただいたので、そのままお送りしたいと思います。
少々長いですが、興味のある方もそうでない方も、日本の歴史上、絶対に忘れてはいけない出来事を体験し、そして現在もその悲惨な出来事を伝えることのできる建物です。
戦争がいかに無駄で、悲惨な結果を生むか、平和というものがいかにすばらしく、大切なものか、ここで今一度考え直すためにも、ぜひとも読んでいただきたいと思います。



《原爆ドームと呼ばれ…》

原爆ドームと呼ばれる廃墟は元々、地上3階・地下1階の煉瓦造りの構造の中央に、地上5階建て・高さ25メートルのドーム部がある建造物だったそうです。

「1915年4月5日に竣工」

同年8月5日、広島県物産陳列館として開館されたものである。

同館はチェコ人の建築家ヤン・レッツェル(Jan Letzel, 1880年-1925年)によって設計され、ネオ・バロック的な骨格にゼツェッション風の細部装飾を持つ混成様式の建物であった。

レッツェルの起用は、当時の寺田祐之県知事によるものであり、寺田は前職の宮城県知事時代、レッツェルの設計した松島パークホテルを見て彼に物産陳列館の設計を任せることを決めたといわれている。

さらに同じ頃レッツェルは宮島ホテル(1917年竣工。現存せず)の設計も手がけており、1919年に開催されたドイツ作品展示会では、第一次世界大戦中、中国の青島で日本軍の捕虜となり広島市似島の捕虜収容所に収容されていたドイツ人菓子職人カール・ユーハイムが、日本で始めてバウムクーヘンを製造販売したことでも知られている。

その後1921年に広島県商品陳列所となり、同年には第4回全国菓子飴大品評会の会場にもなった。

1933年には広島県産業奨励館に改称され、この前後は盛んに美術展が開催。
広島における美術の普及に大きく貢献した。

しかし、1944年以後、産業奨励館はその業務を停止し、内務省中国四国土木事務所・広島県地方木材株式会社・日本木材広島支社など、行政機関・統制組合の事務所として使用されていました。

genbaku-dome2




《決して忘れてはならない傷跡》


1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分。

原子爆弾リトルボーイは、第33代アメリカ合衆国大統領、ハリー・S・トルーマの原子爆弾投下への決意により発した大統領命令を受けたB-29(エノラ・ゲイ)によって投下された。

市内ほぼ中央に位置するT字形の相生橋が目標点とされ、投下された原爆は上空580メートルで炸裂。

爆発に伴って熱線と放射線、周囲の大気が瞬間的に膨張して強烈な爆風と衝撃波を巻き起こし、その爆風の風速は音速を超え、爆発の光線と衝撃波から広島などでは原子爆弾のことを「ピカドン」と呼んでいた。

爆心地付近は鉄やガラスも熔けるほどの高熱に晒され、石材に焼き付けられた人影が今も残る…。

また、3.5km離れた場所でも素肌に直接熱線を浴びた人は火傷を負い、爆風と衝撃波による被害も甚大で、爆心地から2kmの範囲で(木造家屋を含む)建物のほとんど全てが倒壊した…。

爆発による直接的な放射線被曝のほかに、広島市の北西部に降った「黒い雨」などの放射性降下物(フォールアウト)による被曝被害も発生し、投下後に救援や捜索活動のために市内に入った人も含めて急性障害が多発した(二次被害)。

当時の広島市内には約34万2千人がいたが、爆心地から1.2kmの範囲では当日中に50%の人が死亡し、同年12月末までに14万人が死亡したと推定される。

その後も火傷の後遺症(ケロイド)による障害、胎内被曝した出生児の死亡率の上昇、白血病や甲状腺癌の増加など見られた。

この建物も一時は「原爆投下による悲惨な状況を思い出すので撤去すべき」との意見、市の財政難からの理由でその存廃が議論されてきたらしいのだが、1960年に被爆が原因と見られる急性白血病で亡くなった1人の女子高校生が、

「あの痛々しい産業奨励館だけが、いつまでも、おそるべき原爆のことを後世に訴えかけてくれるだろう」

と記した日記を読み感動した平和運動家の河本一郎が中心となって保存を求める運動が始まり、1966年広島市議会が永久保存することを決議、その後風化を防ぐため定期的に補修工事が行われながら保存されていて、1995年史跡に指定。

さらに翌1996年12月5日には、ユネスコの世界遺産(文化遺産)への登録が決定されました。

この近くに記念館があるのですが、原爆関係の資料がたくさん展示されていて、いかにこの原爆が恐ろしいものだったかを痛感することができました。

この戦争を今の日本は知らない人が多いです(自分を含め)今の平和の大切さを知る意味でも、いい経験となりました。

また絶対に核兵器は使用してはいけないと強く感じました。

現在の日本は、他国から戦争の罪の事で色々言われてますが、(まぁ戦争に負けたから仕方のない事ですが・・・)過去の事を追及するより、二度と戦争(核兵器の使用)をしないようにする事の方が大事なんではないでしょうか。

広島のこの場所は機会があれば是非行ってもらいたいですね。


以上、ヒラッチさんでした。

ヒラッチさんも改めて戦争と核の恐ろしさを痛感したことと思います。


これからの世の中、どう変わっていくのでしょうか…
北朝鮮の核問題。

現在も平気として核が開発されているとは、恐ろしいことです。
原子爆弾をしのぐ水素爆弾も開発されている様子。

戦争は何も生みません…
もちろん核も使い方を誤れば、地球そのものを太陽系から消し去ってしまうこともありえぬ話ではないと思います。

戦争(内戦も含め)が無く、平和で、世界中の人々が笑って暮らせるよう、戦争と核兵器の廃絶を願うばかりです。

誤った歴史を繰り返さないためにも…
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クロちゃんさん>

>平和を祈る大切な場所に広島があげられるでしょう。

まさに我国日本ではそのとおりだと思います!!
戦争を知らない世代の私たちにとって、戦争というものの恐ろしさを改めて考え直す場所にもなっていると思いますが、被爆してなくなられた女子高生の日記がなかったら、今頃この原爆ドームは存在せず、平和のすばらしさと、戦争の悲惨さを知ることも、なかったのかも知れません…。

私もヒラッチさんの投稿がなかったら、この記事を載せることはなかったと思います。

改めてヒラッチさんに感謝ですね。

核と争いのない世の中が来ることを祈るばかりです。
【2008/09/20 06:37】 URL | MAKOTO #-[ 編集]
こんばんは♪
改めて、広島の原爆の勉強をさせていただきました。
毎年、8月にテレビで式典や戦争ドラマなどやりますが、それ以上の感銘を受けました。
今も世界のどこかで核実験やミサイル実験、そして戦争が起こっています。
その指揮する人にも広島を訪れて欲しいですね。
きっと目が覚めるでしょう。

私も戦争を知らない世代ですが、改めてその悲惨さを感じました。
平和を祈る大切な場所に広島があげられるでしょう。
文章では感情をうまく表せませんが、素敵な記事をありがとうございます。
【2008/09/19 20:54】 URL | クロちゃん #-[ 編集]
ひらっちさん>

ひらっちさんは、本当に貴重な体験をしたみたいですね。
今の平和に感謝…自分自身こういう悲惨な歴史があった事にはを日頃忘れていました。
改めて、今の日本料理を作り上げてきた人々に感謝しなければイケませんね!
核兵器廃絶と争いのない世の中…広島と長崎の歴史を振り返ると、それを願わずにはいられません…
【2008/09/19 01:40】 URL | MAKOTO #-[ 編集]
早速写真を載せてもらいありがとうございます。世界の国々ではまだ戦争をしている国がたくさんありますが、1度この広島に行って下さい。いかに戦争が悲惨でそして核兵器が我々人間にどんな被害をもたらすのか。知らない人に知って欲しいと思います。絶対に二度と核兵器は使ってはいけないんです。今の平和な日本で生きていることに感謝をしたいです。堅苦しい話になってしまいましたね。それでは近いうちのに秩父に遊びに行きますのでその時はなにとぞ宜しく。
【2008/09/18 22:14】 URL | ヒラッチ #-[ 編集]















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